QRコード
QRCODE

和歌山の情報発信
ブログポータル

ログインはTOPページで
私も作ってみる


[PR] 和歌山情報ブログでチェックイコラブログ
[PR] 商品ページ1ページからリニューアル!!楽天ヤフーOK!現在キャンペーン


アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 2人
プロフィール
古道ウォーカー
オーナーへメッセージ

2013年08月23日

明大マンドリンクラブ演奏会

暑い、暑い猛暑の夜、夕涼みがてら
 明治大学マンドリンクラブ演奏会

に出かけました。



哀調をおびた
古賀メロディー
は、マンドリンの
演奏に
合いますね。

復活している
トワエモワが
ゲスト出演して
いました。  


Posted by 古道ウォーカー at 11:25Comments(2)

2013年08月16日

入笠湿原に咲く花


入笠湿原は、入笠山(1995m)山麓の標高1700m付近に
広がる大湿原で、約80万本のスズラン自生地で有名です。

スズランの開花期は6月なので、夏は葉っぱだけ。
ほかの高山植物もたくさん見られます。




















           右は、ヤマホタルブクロ




コオニユリ
              チダケサシ

















クガイソウ

             コバギボシ














ウツボグサ





ヤマハハコの群生
  


Posted by 古道ウォーカー at 01:18Comments(2)

2013年08月14日

信玄棒道~沿道の風景


小海線甲斐小泉駅を出発したハイキング。
10分ほどで「三分一湧水」に着きます。

その手前に小泉郵便局があり、そこで
ハガキに記念の消印を押してもらいました。


三分一湧水は、八ヶ岳
の雪解け水が長い年月
をかけて麓に湧きだした
泉です。

名前の由来は、武田信
玄が農耕用水として
三つの村に均等に配分
するよう工夫して、長年
続いた水争いを治めた
と伝わっています。











しばらくは、小さな集落や
高原野菜畑の中を歩く。
途中、番所(棒道を往き来する者を
チェックする見張り所)の跡や古戦場跡
などが沿道に点在します。
また、道沿いに観音様が祀られています。
これは、幕末の頃につくられたそうで、
全国各地にもある観音信仰の西国33箇所霊場を
模したものだと言われています。
道祖神にも似ており、沿道の風景として
いいものですね。

棒道は、カラマツ林が多く、快適なハイキングコースでした。











































海抜1000~1200mの
高原を歩くさわやかな
ハイキングでした。

最後に変な写真を!


何だかわかりにくい
写真ですが。

馬蹄跡と馬糞です。
中央の茶色の固まりが
馬糞です。

このあたり、牧場や
馬場が多く、馬に乗って

散策する人があるんです。



  


Posted by 古道ウォーカー at 03:04Comments(1)

2013年08月12日

信玄棒道


信玄棒道とは、
甲斐の武田信玄が、信濃を攻めるっために

八ヶ岳の南麓から西麓にかけて軍用道路
としてつくった道です。

棒のようにまっすぐ伸びていることから
こう呼ばれています。三筋残っています。

八ヶ岳山麓の高度が高いところから順に
 上の棒道、中の棒道、下の棒道

と呼ばれています。
 現在、ハイキングコースとして利用されているのは

上の棒道で、私もこの道を歩きました。
快適なハイキングコースで、途中には史跡や

道祖神が見られます。
 中央本線と小海線が合流する小淵沢駅前に

マイカーを置いて、高原列車の小海線に乗り、
甲斐小泉駅で下車、ここから棒道を約8.5キロ

歩いて小淵沢駅に戻るコースです。














JR小海線は、山梨県北杜市の小淵沢駅から長野県小諸市の小諸駅までを結ぶ
総延長78.9kmの路線です。始発の小淵沢駅の標高が881m、次の甲斐小泉

で1044m、もうちょっと先の清里ー野辺山間には標高1375mのJR鉄道最高地点
があります。まさに「八ヶ岳高原線」の名のとおり、高原列車の旅を楽しめます。

今回は、ハイキングが目的ですので、甲斐小泉駅までの1駅のみ、それでも駅間が
7.1キロあります。



小海線小淵沢発
小諸行きの列車
キハ110形の
気動車です。









小淵沢駅ホームから
南アルプスを望む











甲斐小泉駅近く
の小海線線路。

すごい急勾配
なのがわかりますか。

















甲斐小泉駅に
着きました。

ここから歩きますが、
まず看板にも書かれ
ている三分一湧水
を目指します。














これから快適なウォーキングが始まりますが、
途中の風景は、のちほど・・・。


  


Posted by 古道ウォーカー at 12:07Comments(2)

2013年08月10日

入笠山登山

南アルプスの最北端に位置する
  入笠山 標高1995m
に挑戦することにしました。

 マイカーで45キロ走って、山麓に。
2000m級の山ですが、1700mくらいまでは、ゴンドラで楽ちん。

入笠山は、スズランが自生する山として有名です。
スズランが咲くのは6月ですが、そのほかの高山植物が多いにで

前々から登りたい山の一つでした。花だけでなく、入笠山の頂上は
絶好の展望台で、八ヶ岳連峰、北・中央・南アルプスなどの大パノラマ

が広がります。

 ・・・のはずでしたが、当日は朝から雨、雨、雨・・・・。
 雨具を用意していましたが、激しい雨になったので、

頂上まで登るのは断念して、8合目付近から下山しました。
残念・・・、無念・・・。

















シラビソ原生林の中の登山道は、快適でした。
これで天候がよければなあ・・・。

それでも途中の「入笠湿原」周辺には、高山植物の花がいっぱい。
花の写真は、後日に。

この付近、長野県の南東部に位置し、山梨県北杜市と接するところ
 長野県諏訪郡富士見町
です。
 南アルプスと八ヶ岳連峰に挟まれた高原です。
 その日の宿も、富士見高原の別荘地帯にある公共の宿を探しました。

その名も「八ヶ岳フレンドリーふじみ」。
標高1350mの位置、八ヶ岳の南西山麓にあります。


























公共の宿にしては、
すばらしいごちそう
でした。
写真に写っている
ほかに天ぷらなど
数点出てきた
はずでした。
これで1泊2食付
きで1万円でおつ
りがあるんですよ。

アットホームなのもよかったですね。
全国あちこち旅行して、公共の宿は随分利用させて
いただきましたが、私の評価は公共の宿としては
最上級のランクです。

  


Posted by 古道ウォーカー at 21:53Comments(0)

2013年08月10日

暑気払い

連日、35度を超える猛暑。
今日の和歌山は、37度でした。

何をしても暑い、暑い・・・・。
暑気払いもいろいろあって、・・・。

朝から3時間、テニス仲間と思い切り
テニスで大汗を流しました。

帰ってきて体重計に乗ると、
2キロ減でした。

あとは気分もすっきりですよ。  


Posted by 古道ウォーカー at 15:42Comments(1)

2013年08月09日

崇源院(2代将軍秀忠の正室、江姫)の供養塔


京都・黒谷・金戒光明寺境内に
  2代将軍徳川秀忠夫人、3代将軍家光の母
  平成23年大河ドラマ 江~姫たちの戦国~
  の主役

江の供養塔があります。















かなり大きな供養塔です。
建てたのは、3代将軍家光
の乳母、春日局です。

そう言えば、高野山奥の院
で最大の墓石(一番石)は、
やはり崇源院です。
こちらを建てたのは、家光
の弟、徳川忠長です。


  


Posted by 古道ウォーカー at 16:01Comments(1)

2013年08月09日

京都見廻組屯所(聚楽第跡)

京都・下立売にある浄土宗のお寺 松林寺は、
幕末に、京都見廻組佐々木只三郎の屯所となったことで
知られています。

京都守護職を命じられた会津藩主松平容保が、黒谷の
金戒光明寺に駐屯します。松林寺は金戒光明寺の

末寺であったことから、京都守護職松平容保の配下にあった
京都見廻組与頭佐々木只三郎が滞在しました。

京都見廻組は、新撰組のような浪士隊ではなく、武士身分の
正規兵であり、京都への赴任も家族同伴でした。

佐々木只三郎ら見廻組は、のち坂本龍馬暗殺を実行したと
言われています。

只三郎は、その後鳥羽伏見の戦いの幕府軍として参戦し、
大怪我を負い、和歌山の紀三井寺において死去。35歳。

紀三井寺裏山の墓地にねむっています。

 また、松林寺の門前には、
   此付近聚楽第南外濠跡

の碑があります。
 豊臣秀吉築造の関白邸、聚楽第外濠の南端に位置する
と考えられています。

 松林寺の位置は、二条城の北西裏、千本丸太町の交差点から
少し北西にありますが、現在のお寺は京都にしては小さくて

わかりにくい。 住所は、

 京都市上京区智恵光院通出水下ル分銅町5番地

私は、この住所表記では行き着けず、スマホのナビと
近所のお年寄りに聞きました。



  


Posted by 古道ウォーカー at 11:24Comments(1)

2013年08月09日

大阪・天王寺 一心寺


天王寺公園に隣接した台地の上に
 浄土宗 一心寺
があります。





この寺の一角に、
  「鳥羽伏見 東軍戦死者招魂碑」
があり、会津藩士を含む13基の墓が並んでいます。















また、一心寺の山門がびっくりするような
奇抜なデザインです。左右に立つ仁王像もすごいです。















  


Posted by 古道ウォーカー at 01:02Comments(0)

2013年08月08日

会津小鉄の墓


京都黒谷 金戒光明寺には、「侠客 会津小鉄」の墓があります。




金戒光明寺
 西南院の門









 
        西南院の
         池に咲くハスの花







侠客 会津小鉄の墓















会津小鉄は本名を
上坂仙吉(こうさか せんきち)
といい、会津藩主松平容保が
京都守護職在職中は、表の家業を口入れ屋とし、
裏は、新撰組の密偵として大活躍をしました。

会津藩ら東軍が鳥羽伏見の戦いで賊軍の汚名を着せられ
戦死者の遺体が鳥羽伏見街道の路上に放置されていたのを

子分二百余名を動員してこれを収容し、近くの寺で荼毘に付し
回向供養したと言います・  


Posted by 古道ウォーカー at 10:33Comments(1)

2013年08月05日

京都黒谷、金戒光明寺

浄土宗大本山 紫雲山金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)
これが正式名称、法然上人が初めて草庵を営んだのが始まり。

すなわち、浄土宗最初の寺院である。
御所までは約2キロ、東海道発着点の三条大橋東(粟田口)までは約1.5キロ、

馬で走れば5分、人でも急げば15分で到着できる要衝の地にあり、
幕末には、京都守護職松平容保以下一千名の会津藩士の本陣にもなった。

約4万坪の広大な寺域である。

























山上墓地北東には、「会津藩殉難者墓地」があり、文久2年~慶応3年の
5年間に亡くなった237名と鳥羽伏見の戦いで戦死した115名を祀る

慰霊碑(明治40年建立)がある。








  


Posted by 古道ウォーカー at 17:12Comments(5)