2013年08月09日
京都見廻組屯所(聚楽第跡)
京都・下立売にある浄土宗のお寺 松林寺は、
幕末に、京都見廻組佐々木只三郎の屯所となったことで
知られています。
京都守護職を命じられた会津藩主松平容保が、黒谷の
金戒光明寺に駐屯します。松林寺は金戒光明寺の
末寺であったことから、京都守護職松平容保の配下にあった
京都見廻組与頭佐々木只三郎が滞在しました。
京都見廻組は、新撰組のような浪士隊ではなく、武士身分の
正規兵であり、京都への赴任も家族同伴でした。
佐々木只三郎ら見廻組は、のち坂本龍馬暗殺を実行したと
言われています。
只三郎は、その後鳥羽伏見の戦いの幕府軍として参戦し、
大怪我を負い、和歌山の紀三井寺において死去。35歳。
紀三井寺裏山の墓地にねむっています。
また、松林寺の門前には、
此付近聚楽第南外濠跡
の碑があります。
豊臣秀吉築造の関白邸、聚楽第外濠の南端に位置する
と考えられています。
松林寺の位置は、二条城の北西裏、千本丸太町の交差点から
少し北西にありますが、現在のお寺は京都にしては小さくて
わかりにくい。 住所は、
京都市上京区智恵光院通出水下ル分銅町5番地
私は、この住所表記では行き着けず、スマホのナビと
近所のお年寄りに聞きました。

幕末に、京都見廻組佐々木只三郎の屯所となったことで
知られています。
京都守護職を命じられた会津藩主松平容保が、黒谷の
金戒光明寺に駐屯します。松林寺は金戒光明寺の
末寺であったことから、京都守護職松平容保の配下にあった
京都見廻組与頭佐々木只三郎が滞在しました。
京都見廻組は、新撰組のような浪士隊ではなく、武士身分の
正規兵であり、京都への赴任も家族同伴でした。
佐々木只三郎ら見廻組は、のち坂本龍馬暗殺を実行したと
言われています。
只三郎は、その後鳥羽伏見の戦いの幕府軍として参戦し、
大怪我を負い、和歌山の紀三井寺において死去。35歳。
紀三井寺裏山の墓地にねむっています。
また、松林寺の門前には、
此付近聚楽第南外濠跡
の碑があります。
豊臣秀吉築造の関白邸、聚楽第外濠の南端に位置する
と考えられています。
松林寺の位置は、二条城の北西裏、千本丸太町の交差点から
少し北西にありますが、現在のお寺は京都にしては小さくて
わかりにくい。 住所は、
京都市上京区智恵光院通出水下ル分銅町5番地
私は、この住所表記では行き着けず、スマホのナビと
近所のお年寄りに聞きました。
Posted by 古道ウォーカー at 11:24│Comments(1)
この記事へのコメント
古道ウォーカーさん今日は
知らないことばかりで、楽しく見ています。
寺院には、それどれの歴史が刻まれていますね。
知らないことばかりで、楽しく見ています。
寺院には、それどれの歴史が刻まれていますね。
Posted by kenn at 2013年08月09日 17:23