2011年02月13日
南海本線からの雪景色
2月11日は、雪で大変でしたね。
大阪で仲間が集まる予定でしたので、
阪和線に乗ろうとしたら、山中渓付近で線路脇の樹木、竹が
積雪で線路にかぶさってきたので、しばらく運休でした。
やむを得ず、南海電車に振り替えで大阪にたどり着き、
約束の時間には間に合いましたが、車窓からの
雪景色は久々。

大阪で仲間が集まる予定でしたので、
阪和線に乗ろうとしたら、山中渓付近で線路脇の樹木、竹が
積雪で線路にかぶさってきたので、しばらく運休でした。
やむを得ず、南海電車に振り替えで大阪にたどり着き、
約束の時間には間に合いましたが、車窓からの
雪景色は久々。
Posted by 古道ウォーカー at
22:04
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2011年02月13日
青しんごうさん祝賀会速報
青しんごうさんの祝賀会に出席。
旭日双光章と交通安全の功労による大臣表彰。
誠にめでたく、青しんごうさんの永年にわたるご苦労の
たまものです。
本当におめでとうございました。
本日の祝賀会には、関係者100人以上が出席され、
それはそれは盛大で、かつ、和やかな雰囲気でした。
青しんごうさんの人柄が醸し出すムードでした。

旭日双光章と交通安全の功労による大臣表彰。
誠にめでたく、青しんごうさんの永年にわたるご苦労の
たまものです。
本当におめでとうございました。
本日の祝賀会には、関係者100人以上が出席され、
それはそれは盛大で、かつ、和やかな雰囲気でした。
青しんごうさんの人柄が醸し出すムードでした。
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21:50
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2011年02月05日
瑞芝焼の窯元を訪ねて
紀州徳川家御用窯「瑞芝焼」の窯元を訪ねました。
紀州製陶は、十代藩主徳川治宝侯
の時代に隆盛を極め、偕楽園焼、
男山焼、瑞芝焼の三大陶窯が有名。
瑞芝焼は、初代岡崎屋阪上重次郎
が、寛政8年(1796)に現在の和歌
山市畑屋敷新道町(旧鈴丸丁)に
創窯したのが始まり。
藩の御用品を焼く御用窯となった
が、明治7年に廃窯、昭和48年に
五代目が再興し、現在は六代目。
できあがった作品を展示場で見せていただきました。




紀州製陶は、十代藩主徳川治宝侯
の時代に隆盛を極め、偕楽園焼、
男山焼、瑞芝焼の三大陶窯が有名。
瑞芝焼は、初代岡崎屋阪上重次郎
が、寛政8年(1796)に現在の和歌
山市畑屋敷新道町(旧鈴丸丁)に
創窯したのが始まり。
藩の御用品を焼く御用窯となった
が、明治7年に廃窯、昭和48年に
五代目が再興し、現在は六代目。
できあがった作品を展示場で見せていただきました。
Posted by 古道ウォーカー at
23:52
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2011年02月05日
尾道散策の旅(その2)
尾道の旅のつづきです。
千光寺公園からの眺望がすばらしかった。

しまなみ海道方面
新尾道大橋、向島

向島正面

同上(つづき)

同上(つづき西側)
千光寺公園からの眺望がすばらしかった。
しまなみ海道方面
新尾道大橋、向島
向島正面
同上(つづき)
同上(つづき西側)
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22:31
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2011年02月03日
尾道散策の旅
鞆の浦(広島県福山市)の街中散策の翌日、
尾道を訪ねました。
朝ドラの「てっぱん」の舞台となっていることから、
町中の商店街には、あちこちにポスターが目立ち、
ドラマの展示コーナーが設置されていました。
私たちは、千光寺周辺と文学のこみちを中心に
散策しました。

千光寺山ロープウェイ
この車両は乗り納めです。
新車に切り替えるため、1月末に
廃止されました。

真言宗 千光寺本堂

天寧寺三重の塔
千光寺のすぐ下にあります。

天寧寺坂
尾道を訪ねました。
朝ドラの「てっぱん」の舞台となっていることから、
町中の商店街には、あちこちにポスターが目立ち、
ドラマの展示コーナーが設置されていました。
私たちは、千光寺周辺と文学のこみちを中心に
散策しました。
千光寺山ロープウェイ
この車両は乗り納めです。
新車に切り替えるため、1月末に
廃止されました。

真言宗 千光寺本堂
天寧寺三重の塔
千光寺のすぐ下にあります。

天寧寺坂
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11:52
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2011年02月01日
梅一輪
梅一輪 一輪ほどの あたたかさ
と言われますが、まだまだですね。
しかし、風土記の丘の梅林では、梅が
開花しています。

と言われますが、まだまだですね。
しかし、風土記の丘の梅林では、梅が
開花しています。
Posted by 古道ウォーカー at
14:43
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2011年02月01日
鞆の浦再訪(その2)
鞆の浦の旅の続きです。
鞆の港に面して「いろは丸展示館」があります。
今回の旅の主目的は、ここです。
そもそも、いろは丸と紀州藩の明光丸の
衝突事故の主原因は、両船が出会った最初に
航行の基本どおり、互いに右旋回すべきを
いろは丸が左旋回したことにあります。

(前回訪問時の写真)

鞆の浦の路地裏
狭い、狭い路地がつづいている。




平成いろは丸
沈没した「いろは丸」を模した
連絡船です。
この船に乗って、仙酔島に渡り、
宿泊し、海の幸を腹一杯食べました。
鞆の港に面して「いろは丸展示館」があります。
今回の旅の主目的は、ここです。
そもそも、いろは丸と紀州藩の明光丸の
衝突事故の主原因は、両船が出会った最初に
航行の基本どおり、互いに右旋回すべきを
いろは丸が左旋回したことにあります。
(前回訪問時の写真)
鞆の浦の路地裏
狭い、狭い路地がつづいている。
平成いろは丸
沈没した「いろは丸」を模した
連絡船です。
この船に乗って、仙酔島に渡り、
宿泊し、海の幸を腹一杯食べました。
Posted by 古道ウォーカー at
14:40
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