2018年06月21日
京街道・枚方宿(つづき)
枚方市の京街道を歩いていて、発見した
中で、記載漏れがあります。
市立枚方宿鍵屋資料館とマンホールです。

江戸時代の船待ち宿「鍵屋」を
枚方市の有形文化財に指定し、解体復元
して枚方宿に関する資料を展示して公開
しています。
枚方市のマンホール

中で、記載漏れがあります。
市立枚方宿鍵屋資料館とマンホールです。
江戸時代の船待ち宿「鍵屋」を
枚方市の有形文化財に指定し、解体復元
して枚方宿に関する資料を展示して公開
しています。
枚方市のマンホール
Posted by 古道ウォーカー at
00:09
│Comments(2)
2018年06月19日
京街道・枚方宿
枚方宿は、東海道五十六番目の宿場町。
京都と大坂の中間に位置する交通の
幼少であり、陸の街道だけでなく、街道と
ほぼ平行して流れる淀川を利用した
水上交通の中継港としても栄えた。


町飛脚を
置く等、
宿場の
事務を
行った

東見附
枚方宿の
東側の
入口です

常夜灯

道標

枚方宿は、東西約1.5キロ、旧街道の面影を
残しています。
紀州候七里飛脚の位置も判明しましたが、
現在は何も残っていません。
京都と大坂の中間に位置する交通の
幼少であり、陸の街道だけでなく、街道と
ほぼ平行して流れる淀川を利用した
水上交通の中継港としても栄えた。
町飛脚を
置く等、
宿場の
事務を
行った
東見附
枚方宿の
東側の
入口です
常夜灯
道標
枚方宿は、東西約1.5キロ、旧街道の面影を
残しています。
紀州候七里飛脚の位置も判明しましたが、
現在は何も残っていません。
Posted by 古道ウォーカー at
17:06
│Comments(4)
2018年06月07日
京都・伏見、酒蔵と水路の街
京都伏見には、鴨川、琵琶湖疎水、宇治川等の河川・水路が
あり、淀川を経て大阪に至る舟運ルートがつながっていました。
近距離の十石舟、大阪までの三十石船が行き交い、賑わい
ました。
桃山丘陵山麓の湧き水で、昔から酒造が盛んで、月桂冠大倉
記念館、黄桜カッパカントリーで見学できます。





宇治川派t流は、運河で宇治川と琵琶湖疎水とを
結んでいました。
あり、淀川を経て大阪に至る舟運ルートがつながっていました。
近距離の十石舟、大阪までの三十石船が行き交い、賑わい
ました。
桃山丘陵山麓の湧き水で、昔から酒造が盛んで、月桂冠大倉
記念館、黄桜カッパカントリーで見学できます。
宇治川派t流は、運河で宇治川と琵琶湖疎水とを
結んでいました。
Posted by 古道ウォーカー at
14:21
│Comments(4)
2018年06月07日
京都伏見・寺田屋のつづき
現在の寺田屋は、復元・改造されて
旅館として営業しています。

寺田屋の
風呂場
龍馬の愛人お龍が入浴中、捕方に気付き裸のまま
階段を駆け上って龍馬に知らせたという逸話は有名。

寺田屋の玄関
旅館として営業しています。
寺田屋の
風呂場
龍馬の愛人お龍が入浴中、捕方に気付き裸のまま
階段を駆け上って龍馬に知らせたという逸話は有名。
寺田屋の玄関
Posted by 古道ウォーカー at
11:44
│Comments(1)
2018年06月06日
伏見桃山周辺散策 ③寺田屋
京都伏見の寺田屋は、大阪と京都間の
通船「三十石船」の京側の発着地の
大きな船宿でした。
寺田屋は、薩摩藩の定宿であった関係
から、文久2年(1862)4月いわゆる
「寺田屋事件」が起こり、薩摩藩中心の
急進派九名が犠牲となりました。
また、慶応2年(1866)1月、薩摩藩の
紹介でここを定宿としていた坂本龍馬
が幕吏の襲撃を受けて、愛人お龍の
機転で助かったのもここでした。

通船「三十石船」の京側の発着地の
大きな船宿でした。
寺田屋は、薩摩藩の定宿であった関係
から、文久2年(1862)4月いわゆる
「寺田屋事件」が起こり、薩摩藩中心の
急進派九名が犠牲となりました。
また、慶応2年(1866)1月、薩摩藩の
紹介でここを定宿としていた坂本龍馬
が幕吏の襲撃を受けて、愛人お龍の
機転で助かったのもここでした。
Posted by 古道ウォーカー at
17:25
│Comments(1)