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2014年04月21日

大阪北浜界隈の散策・適塾

大阪、船場北浜界隈を散策しました。
まずは、「適塾」。

適塾は、蘭学者・医者として知られる緒方洪庵が
江戸時代後期に大阪・船場に開いた蘭学の私塾。

正式には「適々斎塾」といい、また、適々塾とも
呼ばれていました。

同塾からは、幕末から明治維新期に活躍した
人材を多く輩出し、現在の大阪大学医学部の

前身になります。

 主な門下生は、大村益次郎、福澤諭吉、高峰譲吉、
橋本左内、佐野常民ら。

適塾の建物が現存しており、解体修理を終えた昭和
55年から一般公開されています。

適塾を訪れたのは三度目ですが、現在建物の一部が
修復工事中で閉館していました。

大阪北浜界隈の散策・適塾


大阪北浜界隈の散策・適塾
      適塾の西側公園に建つ
      緒方洪庵像




Posted by 古道ウォーカー at 23:41│Comments(4)
この記事へのコメント
古道ウオーカーさん、おはようございます~♪
去年の夏、私も適塾を訪れました。
その時には中を見学することができました。
緒方洪庵の号が適々斎だったことから適塾と呼ばれたと書いてありました。
優れた学者であったのみならず、素晴らしい教育者でもあったのですね。
Posted by のん at 2014年04月22日 09:19
のんさん、おはようございます。
私は、昭和55年に建物の改築復元に
携われた阪大教授(当時)からいろいろ
教わり、門下生の福沢諭吉と紀州藩との
関係を調べたことがあります。
福沢が洋行の時のスポンサーは紀州藩で、
おみやげに洋書をどっさり買ってきてもらっています。その一部は和大の図書館に。
また、江戸で慶應義塾を始めたとき、塾舎は
紀州藩邸の一部を使用したのです。
そんなとこから、明治初期、和歌山から慶應義塾への入塾者はすごく多かったのです。
Posted by 古道ウォーカー古道ウォーカー at 2014年04月22日 10:17
古道ウォーカーさんおはようございます、 
適塾には行ったことはありませんが、明治のかかりは塾から発展していったことですか。つい、昔見学した松下村塾を思い出しました。
Posted by kenzo at 2014年04月22日 10:23
福沢諭吉と紀州藩との関係、知りませんでした。
とても深いつながりがあったのですね!
教えていただき、有難うございます。
Posted by のん at 2014年04月22日 20:53
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