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古道ウォーカー
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2018年06月19日

京街道・枚方宿

枚方宿は、東海道五十六番目の宿場町。
京都と大坂の中間に位置する交通の

幼少であり、陸の街道だけでなく、街道と
ほぼ平行して流れる淀川を利用した

水上交通の中継港としても栄えた。

京街道・枚方宿











京街道・枚方宿


町飛脚を
置く等、
宿場の
事務を
行った





京街道・枚方宿



東見附

枚方宿の
東側の
入口です





京街道・枚方宿



常夜灯







京街道・枚方宿











道標







京街道・枚方宿















枚方宿は、東西約1.5キロ、旧街道の面影を
残しています。
紀州候七里飛脚の位置も判明しましたが、
現在は何も残っていません。



Posted by 古道ウォーカー at 17:06│Comments(4)
この記事へのコメント
古道ウォーカーさん今晩は、
「枚方宿」って知らなかったです。水上交通の拠点であったのですね。
ところで、数日前の新聞に、枚方市が全国に宣伝を始めたような記事が載っていました。
それは、「ひらかた市」と言う市名であるのに全国的に「まいかた市」と、言う方が多いような記事でした。私は、若い頃に、菊人形を観に行き、「ひらかた」と言う市名に馴染んだか、と、思っています。
あらためて、歴史のある町と気付きました。
Posted by kenn at 2018年06月19日 18:28
kennさん、こんにちは。
慶長6年(1601)、徳川家康がこの京街道を
東海道の延伸部とし、伏見、淀、枚方、守口を宿場と定めました。
紀州藩もはじめのころは、主として大和から伊勢の松阪経由でしたが、6代藩主宗直の寛保元年(1741)の参勤から、京街道を通ったのです。
和歌山を出立して一泊目は貝塚で、二泊目が枚方、三泊目は大津だったようです。
Posted by 古道ウォーカー古道ウォーカー at 2018年06月20日 12:52
古道ウォーカーさん、こんにちは~♪
東海道は五十三次と思っていましたが、大阪までを含めると五十七次なんですね!

退部されると漏れ聞きました。
大変淋しくなります。
いろいろご指導ご鞭撻をいただき有難うございましたm(__)m
Posted by のん at 2018年06月20日 15:34
のんさん、こんばんは。
私も東海道五十三次と思っていましたが、
1601年に家康が大坂まで延伸したことを知りました。
紀州藩の大名行列は別格で、記録では3900人の行列で、近郷近在から見学に来ていたそうです。御三家の威光を誇示していたようです。
Posted by 古道ウォーカー古道ウォーカー at 2018年06月20日 18:01
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