2014年07月28日
京都・高瀬川沿いの散策
高瀬川は、豪商 角倉了以(すみのくらりょうい)が
江戸時代初期(1611)に開削した、京都二条から
伏見まで延長約10キロメートルの運河です。
この高瀬川の水源地(鴨川からの取水口)から
川沿いの道を七条まで歩きました。
高瀬川には、高瀬舟が運航し、物資の運搬のほか、
島流しの罪人や伏見稲荷の参拝客も運びました。
森鴎外の小説「高瀬舟」でも知られています。
高瀬川沿いには、明治維新の史跡が多く、また、
三条から五条にかけては歓楽街です。
高瀬川の水源地には、角倉了以の別邸が
あったそうですが、現在は「がんこ高瀬川二条苑」
として営業されています。
史跡の一部を列挙します。
料亭「幾松」(桂小五郎と愛人の芸者幾松の潜伏地)
長州藩邸跡
加賀藩邸跡
佐久間象山寓居跡
武市半平太寓居跡
池田屋跡
坂本龍馬寓居跡
土佐藩邸跡
坂本龍馬遭難地(近江屋跡)

高瀬川水源地
付近で一之舟入跡


一之舟入の碑
角倉了以顕彰碑

土佐藩邸跡
江戸時代初期(1611)に開削した、京都二条から
伏見まで延長約10キロメートルの運河です。
この高瀬川の水源地(鴨川からの取水口)から
川沿いの道を七条まで歩きました。
高瀬川には、高瀬舟が運航し、物資の運搬のほか、
島流しの罪人や伏見稲荷の参拝客も運びました。
森鴎外の小説「高瀬舟」でも知られています。
高瀬川沿いには、明治維新の史跡が多く、また、
三条から五条にかけては歓楽街です。
高瀬川の水源地には、角倉了以の別邸が
あったそうですが、現在は「がんこ高瀬川二条苑」
として営業されています。
史跡の一部を列挙します。
料亭「幾松」(桂小五郎と愛人の芸者幾松の潜伏地)
長州藩邸跡
加賀藩邸跡
佐久間象山寓居跡
武市半平太寓居跡
池田屋跡
坂本龍馬寓居跡
土佐藩邸跡
坂本龍馬遭難地(近江屋跡)
高瀬川水源地
付近で一之舟入跡
一之舟入の碑
角倉了以顕彰碑
土佐藩邸跡
Posted by 古道ウォーカー at
11:34
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